パレスチナ自治区にはイスラエルとパレスチナを分離する壁がある。
パレスチナ自治区とは、イスラエルとパレスチナの領土の取り合いの末、パレスチナ人が住める事になった場所のことである。
1993年にイスラエルとパレスチナ解放を目指すパレスチナ解放機構とが「オスロ合意」を締結した。
この「オスロ合意」では、パレスチナの全域を支配していたイスラエルが、西海岸のガザ地区と、ヨルダン川西岸地区についてのみパレスチナ住民のもの認め、イスラエル軍がこの地区から順次撤退し、パレスチナ住民の暫定自治を認める、というものでした。
しかし、和平を進めた事でイスラエルの首相が同じユダヤ人に殺され、新たに着任した首相が「パレスチナはすべてイスラエルのもの」という考えだった事から、ヨルダン川西岸の都市からイスラエル軍を撤退させる動きを中断した挙げ句、パレスチナ自治区の中にユダヤ人の入植を認めてしまったりと、なかなか上手く和平が進まず、オスロ合意は事実上崩壊してしまう。
そしてイスラエルは、今「パレスチナからのテロを防ぐ」という目的で、イスラエルとパレスチナを分離する壁を作り続けています。
そんな壁を一目見ようと、パレスチナ自治区であるベツレヘムに行って来た。
これがイスラエルとパレスチナを分かつ分離壁。所々に監視塔がある。
壁はどこまでも続いていく。
ちょっとデータが古いけど壁はこんな感じに作られている模様。 赤いラインが壁。
壁には色んな思いをこめたアートが一面に書かれています。
フリーメイソン?(興味あれば調べてみてください。都市伝説。)
不都合なアートは消されるのかな?
イギリスの覆面芸術家バンクシーの作品、の偽物。ベツレヘムには5、6個バンクシーアートがあります。自力で見つけるのはかなり困難。タクシー業界で有名みたいでかなり声かけられたけども、スタンプラリーみたいに周るのが嫌で、自力で探そうとしたら1つも見つけられず・・・。
壁に沿って歩いて行くと出入り口があった。
こんな道を歩いて行く。
ゲートを通る。
それからもう1つチェックポイントを通過する。
外国人は簡単に通過できるけど、パレスチナ人は大変みたい。
こっちはイスラエル側。
壁を1つ越えればそこはもうユダヤ人の歩く世界。
イスラエル側に入った直後、おじさん達に言われた一言。なぜかこの言葉は僕に重くのしかかった。
「おかしいだろ?ああ?ここはNew South Africaだ」
新しい南アフリカ・・・壁の中にいたパレスチナ人もパレスチナの事を南アフリカに例えていた。アパルトヘイトのあった南アフリカと境遇が似ているからだろう。
上手く言葉にできないけど、ここには頭を悩ませる事がありすぎます。
次はヘブロンという別のパレスチナ自治区へ行ってみます。