ルワンダは今悲劇を乗り越え、奇跡の復興を果たしている。
植民地時代に宗主国であったベルギーがルワンダ人をツチ族とフツ族の2つに分けた事を発端として、ルワンダで部族対立が始まった。
そして今から20年前の1994年、多数派であるフツ族により少数派であるツチ族に対し大虐殺が行われた。
この虐殺で約100万人が犠牲になった。(詳しくは映画「ホテルルワンダ」「ルワンダの涙」を見て下さい)
しかしそんなルワンダは、その虐殺を乗り越え「アフリカの奇跡」と呼ばれる程の復興を遂げている。
環境を守るためにビニール袋の持ち込みを禁止していたり(国境の荷物検査で没収されます)
バイクに乗る人々のヘルメット着用率が100%だったり
バスやバイクタクシーなどの乗り物の言い値がいきなりローカルプライスで全くボラれる事がなかったりと
今のルワンダではアフリカらしからぬ秩序が保たれていた。
キガリタワーから見るキガリの街並。(セキュリティにお願いすればタワーに登れます)
自然の豊かさ、街の清潔さ、人々の真面目っぷりさ、いろいろな面からみてルワンダは
“住める”と思ったし、”住みたい”とも思えるような国でした。
ルワンダにはいくつか虐殺のメモリアルがあります。
①キガリ
②NYAMATA
③NTARAMA
④ギコンゴロ
この中で特に虐殺を感じれる場所はギコンゴロのメモリアルセンター。
虐殺された人々の衣服。白骨死体。そしてミイラ化した死体までもがそのまま置いてあります。
ここでミイラのある部屋を案内してくれた職員の女性の言葉。
「この部屋の中に私の子供もいるのよ・・・」
彼女はどんな思いで、このメモリアルセンターの職員をつとめているのだろうか。
ルワンダでは一見したところ、虐殺を乗り越え前に進もうとしているように見える。
でも、人々の心の奥底ではどんな気持ちがはびこっているのかを考えるとちょっと複雑だ。
もしかしたら自分のすぐ近所に、自分の家族や親戚を殺した人達が住んでいる状況だってあるかもしれない。
ルワンダ滞在中、ルワンダ人から直接虐殺の事を聞いてみたかったけれども、自分からは決して聞く事ができなかった。
虐殺について聞くということは、相手がフツかツチか聞く事から始まる。もしその聞いた相手がフツで虐殺に関わった人だったとしたら・・・。そんな事を考えると聞くに聞けなかった。
それに、今ルワンダでは公共の場でツチかフツかを言う事は禁止されている。
ルワンダ国民が過去をふりきって虐殺を乗り越えようとしている時に、わざわざ外国人である僕が虐殺をほじくりかえすわけにはいかない。
クリスマスを間近に控え、どこでクリスマスを過ごそうか考えていたとき1人の男性はこう言った。
「俺は勿論ここルワンダで過ごすぜ。だって俺はルワンダが大好きだからな!」
その言葉を聞いて、そしてその村の子供達の明るく元気な姿を見て、ルワンダの未来は明るい、そう感じた。